三国志の呂布はなぜ親を殺したんですか?
董卓とはただの養子ですから彼には親という感覚はなかったでしょう。
また、彼は漢民族ではなく騎馬民族の出身といわれており、いわゆる儒教的な漢民族の道徳をまったくもって軽視していたと思われます。
ゆえに親殺し、ましてやただの養子縁などなんら抵抗がなかったとおもわれます。
王允に「董卓を殺せば次はあなたが大将だ」とでも言われて、董卓を殺したのでしょう。
それほど先のことを考える人物ではなく、目先の利益に飛びつく性質であったのは後の彼の行動を見れば一目瞭然です。
董卓は三国志ではとても悪役にされていますが、実際はかなり優秀で軍事、政治ともに曹操ばりの手腕をみせており、本拠地である涼州の人々が董卓を殺した呂布に一斉に反旗を翻したことでも分かるとおり、善政をひいており相当な人望があったようです。
呂布は力で何とかなると思ったのかどうか知りませんがあっさりと破れ長安から追い出されました。
李粛という董卓の部下に口でだまされ丁原を殺し、又王允にもだまされて董卓を殺した。
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