呂布亡き後の赤兎馬って?(三国志より)
呂布が討たれたあと、赤兎馬ってどうなったのですか?
吉川英治著の三国志を読んでいるのですが、
その点だけは気になっています。
よろしくお願いします。
三国志演義では、劉備が袁紹の元に逃亡し、関羽が劉備の夫人を守って曹操に降っているとき、
曹操が関羽の歓心を買おうとして赤兎馬を与えると、
他の宝物や官位に見向きもしなかった関羽が、「これで早く劉備の元に駆けつける事ができる」と
喜んだ為、曹操はくやんだとの描写があります。
ただし正史の三国志においては、呂布が袁紹の元にいた頃、
元黒山賊の張燕攻撃を依頼された際に赤兎という名馬に乗って活躍した、という記録があるのみです。
赤兎馬は元々董卓の愛馬でした。丁原の所にいた呂布を裏切らせる為に呂布に送りました。
呂布亡き赤兎馬は一度曹操のところへ行きます。関羽が曹操へ捕えられている時関羽にプレゼントしました。関羽は大変喜び「いち早く兄者の元へ駆けつけることが出来ます」と言いました。
その後幾多の戦場を駆け抜け関羽が孫権軍に捕えられ斬首された後、馬忠という武将が受け取りました。
ですが赤兎馬は餌を食べなくなり後を追うように死にました。
自分は横山光輝の漫画を昔読んだだけですが、たしか呂布のあとは関羽が乗ったと記憶しています。
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