三国志の登場人物で陣宮っていますよね?呂布の軍師です。
彼はもの凄く有能な人物なのに、なぜ曹操の所に留まりコツコツ頑張らずに裏切り、なぜ呂布みたいな頭の悪い人物の下に行ったのでしょうか?
漫画では不器用な仁を支えたいとかの理由で居てますけど、優柔不断、直ぐに人を裏切る、モラルの無い奴の所に居たからって天下なんて取れないことぐらい分からなかったのでしょうか。実に惜しい人を無くしたと思います。
「蒼天航路」の陳宮の死の場面は泣けました。
陳宮、常に呂布に無視されてました。
陳宮が何か呂布に進言しても呂布は知らん顔。
しかし陳宮が曹操の手に落ちたのを目撃した時、呂布は
「陳宮!」と叫びます。陳宮はその叫びを確かに聞いた。
「ああ殿が私の名を呼んでいる。殿は天下無敵。私なんぞに
用があってはならない。私を必要としてはいけないのに」
自分は呂布の軍師として死のう、と決心し曹操の誘いを断り
処刑され呂布と共に城壁に吊るされます。
こんな人物がいても良いではないですか。
答えになってませんが、あの場面を思い出してしまいました。
>優柔不断、直ぐに人を裏切る、モラルの無い奴
呂布のこういう評価が単に間違ってる。
あいつはただ単に素直すぎただけ、生まれる時代を間違っただけってのが俺の評価。
評価は低いが、文遠みたいな人間も呂布に惹かれて着いていったわけだから、一概に「あいつはダメ」と決め付けるのはだめだよ。
陳宮が曹操につかなかったのも、曹操のやり方が気に入らないところがあったからだろうね。
例えば、青洲兵関連とか。
どっぷりつかった儒者であれば、アレに異を唱えるのは当然だろうし。
陳宮は董卓を暗殺しようとした曹操を一世の英雄と思い助けますが、その冷徹さ・人道を無視したあまりの自己中心性を目の当たりに見て自分が誤ったと悟り、曹操から離れます。
その後呂布に仕えたのは、その剛勇に正しい指針を示すことができれば世を変えられると考えたからです。
まあ結局呂布は配下の意見をロクに取り入れなかったのでこれも正しい判断とは言いかねますが…
彼の主君選びの基準は、人間的であること、自分をフルに生かせること、でした。きっと単純な呂布に人間らしさを感じてしまったのでしょう。彼が主君選びを失敗した理由は、ついつい他人のいいところを探してしまう性格だったからではないか?というのが僕の意見です。
陳宮って、かなり歳食ってましたね。呂布に仕えた時点で。
で、曹操の陣営って、若い連中が多かったでしょ。
だから色々とやりにくいと思ったんじゃないでしょうか。
呂布と陳宮の関係って、項羽と范増の関係に似てるような気がします。
才能はあるけど、すっかり歳食って腕が衰えた軍師が、
腕っぷしだけの若造を自分がコントロールして、
この乱れた世の中を立て直そう、
みたいな野心?を起こしやすい何かがあるのでは。
やはり曹操が宦官の孫で、当時は呂布の名声が高かったからでしょう。陳宮は名士を自負してましたし。また呂布は智謀の士が不足していたため、辣腕をふるってみたいと思ったのかも。呂伯奢の件は創作の疑いが濃厚です。曹操は非常に寛容な人物です。陳宮を許そうとしましたし。
呂布を選ぶことは明らかに失敗とわかりそうなもんですが、当時の曹操も父のためとはいえ、徐州で大虐殺を行うほどの酷さだったもんで、仕方なく呂布を選んだのかもしれません。
陳宮でございますな。
現世でも相性ってあるじゃないですか^^
「あの人は好き」
「なんか嫌」
陳宮は曹操を助けたはいいものの、そりが合わなかったんだと思います
呂布についたのは、時勢で偶々くっつき易かったからかも知れません
ですが曹操は檻からでた後、呂ハクシャ一家を滅ぼしました
この一部始終を見ただけなら曹操はどんな人物か…
人選を誤ったのでしょう。
ただ単にそれだけの器量だったといわれても仕方ありません。
荀彧や郭嘉はその点でいい主君を選んだと思います。
嫉妬ですよ。
陳宮は河南で黄巾党が乱入してきた際も、的確に指示し、住民を守ったりし、周囲も本人も自負があったでしょう。
であればこそ、曹操も陳宮を抜擢したわけですが、このあと荀彧や程昱らが迎えられ、曹操が重用しだしたからです。
「主君が自分を使いこなしてくれないなら、こちらから縁を切り、新たな主君を選ぼう」と彼は、思ったのです。
そして「主君があんまり優秀すぎると、こういう目に遭うな」とも思い、扱いやすそうな呂布を選んだということですね。「武力以外、誉めるところはない男だが」、「自分なら上手く操って、大きくさせることが出来る!」と言う、自信があったのでしょう。
だから捕えられたとき、曹操に「選択を間違えたな」と言われるんですが、陳宮にとっては「鶏口牛後」、弱くとも先頭になるべきで、強くても後塵を拝することは、彼のプライド(志、といってもいい)が許さなかったのです。
少なくとも陳宮が、呂布に人格的評価や尊敬をしたわけではなく、彼にとっては「作品」だったのでしょう。
見込み違いだったということでしょう。戦略を立案する能力には長けていても人物を見極める能力に欠けていたということです。部分的に優れた能力があっても肝心なところが抜けていて実を結ばなかった人物は歴史に無数にいます。
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