戦国時代の本多忠勝と三国志の呂布はどちらが強いと思いますか?
どちらも甲乙付けづらいと思いますが、
私的には裏切り続けて処刑された呂奉先の方が強いかなぁと思います。
いくら強いといっても、最後には戦に負けて殺されちゃった呂布よりも、何十回戦に出てもかすり傷ひとつ受けなかった本多忠勝のほうが凄いのでは?
家康が三河の小大名だった頃から天下を取るまでの戦にほとんど参戦しながら、ただの一度も怪我をしなかった本多忠勝に一票。
余談ですが、忠勝の愛槍として有名な『蜻蛉切』ですが、あの槍を作ったのは妖刀村正で有名な村正作なんですよね。
徳川に仇なす妖刀といわれた村正の作った槍が、徳川の天下取りに貢献した人が使っていたというのも面白いです。
人を実際に打ち取った数: 本多忠勝
武人としての強さ(無敵さ): 呂布
=本多忠勝=
敵将兵を実際に多く討ち取ったのは「本多忠勝」でしょう。
槍働きが本職の人ですから。軍功の記録もちゃんと残っていますしね。
しかし、彼は後年のイメージもあるので・・・・
(年寄りだから戦に負けたり、ボケちゃってもしょうがないですかねぇ)
=呂布=
一方、三国時代の武将は本当に指揮官といったかんじで、
戦車に乗って後方に踏ん反り返って兵の動きを指揮していました。
また、当時は弓、弩が戦場の主体でしたので、
武将同士の一騎打ちなどは後世の作り話でしょう・・・・、
と言いたいところなのですが、
「呂布」に関しては誰々を討取ったと記載されている稀有な武将の一人なのです。
中国の戦いは数万vs数万の大軍勢が相対し、
日本の合戦とは少々勝手が違ったりします。
そのため、無数の飛び道具が飛び交う全長数キロにわたる広大な戦場で、
後方の指揮官目指して、馬を駆って一直線と言うのはかなり困難です。
それでも、成し遂げてしまう「呂布」の武勇と肝っ玉は凄いです!
それも、何度も(^^;
こんなアホなことをやり遂げた彼は、
西漢の武将「李広」と同じ愛称の『飛将』と呼ばれました。
凄い武人であると当時から認識されていたわけですね。
閑話休題
余談ですが、「李広」も凄い人でした。
が、彼の一族は呪われているとしか言いようがなく、
彼も含め、子孫が尽く不運なことに巻き込まれています。
また、唐代の詩人として有名な「李白」も子孫です。
呪われていますなぁ・・・・
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