三国志。曹操の指南役は誰でしたか?
やはり曹操をして「我が子房」と言わしめ、「王佐の才」を
持っていた荀彧だと思います。
功績は多いですが、呂布から兗州の拠点を守りきり、
献帝を自分の勢力圏に向かいいれ、これ以後大義名分
を得ることが出来ました。
郭嘉では?
短命でしたがいつも的確な助言をしました。
赤壁の戦い前に亡くなりその後大敗した曹操は、
「郭嘉がいたら負けなかった」と嘆いたとか。
第1の指南役(政治・人材登用)は荀彧文若でしょう。代々名家の誉れも高く、祖先は後漢王朝でも高官に任官されてます。それに、以後に挙げる郭嘉や荀攸等(荀彧の出身地が穎川郡で、彼らもその出身です)は彼が推挙した方々です。
軍事指南としては、袁家討伐に大きな貢献をした郭嘉が有名でしょう。短命夭折してしまいましたが。
それに加えて、荀攸・程昱や董卓以来の名軍師賈詡及び司馬懿があげられると思います。
割とマイナーな人物で・・・「戯志才」はいかがでしょうか?指南役とは位置づけが違いますが・・・・
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