三国志・・教えて下さい。。NO.2(張遼・貂蝉)
ごめんなさい。。。昨日三国志の件で聞いたものです。。。
追加で教えて下さい。。
1)貂蝉は絶世の美女で呂布もメロメロだったみたいですが、呂布と董卓の仲を引き裂く
ために、騙したとありました。。。本当かはわかんないけど。。。
なぜそんなことをしたんでしょうか??理由はなんだったんでしょうか・・・^^;
2)張遼は「泣く子も黙る」というぐらい強かったようですが。
実際どういう人物だったのでしょうか?ネットで調べても書いてある事が皆違うんで
よくわかりませんでした。。。
まだまだ人物がよくわからないとこがあるもんで・・・^^;;
教えちくださいませ*^^*
1.小説「三国志演義」では司徒(首相みたいな仕事)の王允の養女で、美貌の舞姫でした(このとき16歳だったんですって)。
董卓が横暴で後漢王朝をないがしろにしている、でも最強武将・呂布が付いていて倒せない・・・。そこで、両者の仲を裂くため、どっちにも「ホントはあなたが好きだけど、もう一人がうるさくて・・・」とささやき、仲間割れさせたんですね。
「連環曲」といって、あちらでは舞台劇にもなっています。
ちなみにチョウセンは実在の人物ではなく架空の人です。ただ、呂布が董卓の侍女に手を出して、発覚を恐れていた・・・と言う記事が正史にあり、それをモデルにしたようですね。「チョウセン」というなまえは、テンの皮とセミの羽を組み合わせた、当時の冠ファッションのことです。
2.張遼は呂布と同じ五原出身で、呂布が死ぬまで仕え、後に曹操に仕えました。曹操の一族ではない、外様のベスト五武将の一人(魏の五将)とまでいわれました。
呉との「合肥の戦い」では、少数の別働隊を率いて孫権本陣を脅かせ、呉では「張来来」(張遼が来るぞー)と言う言葉が、子どもがむずかるときに親が言うものになりました(日本で言うと、雷にへそをとられるよ、ってやつかな)
彼は曹操の子・曹ヒにも信頼され、呉との最前線の司令官として生涯を終わりました。
1)は良い回答があるので割愛
2)は補足です。
曹操は存命中、基本親族に各方面軍を率いさせています。
親族以外は信用できなかったようです。
どんなに実力があっても曹操は基本他人を信用しません。
唯一の例外が張遼です。彼は方面軍司令でした。
よほど信用できる人物だったのでしょう。
詳しく知りたいのなら、「三国志」という横山光輝さんの漫画を読めばいいと思いますよ。
漫画なんで、手軽に読めると思います。
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1)王允って人の養女でこの王允って人が漢王朝の重臣で董卓の専横により漢の王朝が
荒らされるのを快く思ってなかったんでチョウ蝉を使って滅ぼそうとしたの
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