2012年3月29日木曜日

三國志の人物で弓矢が特に優れた人物を教えて下さい

三國志の人物で弓矢が特に優れた人物を教えて下さい







太史慈。

弓矢の腕は百発百中(『三國志』呉書太史慈伝)



呂布。

百歩離れた的を射落として劉備・袁術双方の兵を引かせた(『三國志』魏書呂布伝)



董卓。

騎射に巧みで左右どちらからでも射る事ができた(『三國志』魏書董卓伝)









ああ…また放置質問に回答してしまった…。








弓術が優れた人物は結構いますよ。何人か紹介しますね。



・黄忠



何といっても、「弓」というキーワードで最初に思いつく人物といったら黄忠でしょう。言い伝えでは空飛ぶ蜂を射落とす事が出来たらしいですよ。実話どうか、わからないんですがね。



・呂布



人中の呂布として知られる男ですが、弓術もかなりの腕前だったらしいです。日本でいう那須与一的な存在で、壁にかけた戟の先端部分を射る事が出来たといいますが、その分知力のほうはちょっと・・・って感じですかね。



・夏侯淵



まぁ、とりあいず弓術すごかったらしいんです。私も深くは知りません。



・董卓



「えっ」、と思ったかもしれませんが、若いころは人望も厚く、武術にも優れていたといいます。弓術は馬上から両脇の的に矢を射当てるほどの腕前だったらしいですよ。







先の回答者さんが挙げられたように、

「弓の名手」といえば、黄忠や呂布、夏候淵などの名が挙がりますが、

正史で弓の名手の記載があるのは「太史慈」だけです。



「太史慈」を筆頭に挙げたいと思います。



『太史慈』

北海の相孔融が、都昌で管亥の包囲を受けた時、

太史慈は騎兵二人を連れ、それぞれに弓の的を持たせ、城門を出、

敵には目もくれず、塹の中におり、供にもたせた的を置くと、

塹からでて、それを二つとも見事に射抜きます。

そのまま包囲を突破するどころか、城に帰ってしまいます。

これを翌日も行い、敵が油断し三日目の朝、

太史慈駆け抜けながら、敵を次々と弓で射抜いていきます。

賊軍恐れをなし、彼を止めることはできず、

見事太史慈は賊の包囲を突破することに成功します。



孫策に帰順後、砦の楼上から罵詈雑言を浴びせる賊の手を射抜き、

柱に縫い付けてしまいます。この神業的な腕前に、

孫策軍もみな感嘆たとされます。

(正史三国志:太史慈伝)

「身の丈七尺七寸、その髯は美しく、手が長く弓に巧みで、百発百中であった」

と称されています。



『黄忠』

長沙の韓玄配下の時、攻めてきた関羽と一騎打ちとなり、

黄忠の馬が負傷したのを見て、関羽が見逃したことに恩義を受けます。

黄忠は韓玄に手を抜いたと疑われ

自慢の弓で射殺すことを約束することになり、

翌日の再戦時、黄忠は矢をつがえる真似をし、

二回、矢をうつ真似をし、

三回目に関羽の冠を射抜きます。

黄忠射竹箭(こうちゅうがやをいる)という諺

「優れた腕前を披露すること。」もあります。

夏候淵を射ちとったのも彼です。



韓玄は魏延に斬られ黄忠は助かり劉備に降伏しますが、

韓玄の名誉のため、彼は優秀な冶政者であり、この件は演義の創作です。



『呂布』

小沛をはさんでの劉備と袁術の睨み合いの際、

劉備と袁術の武将紀霊を陣営に招き、

百歩離れた陣門に一本の戟を突き立てさせ、

弓を引き絞りながら振り返って

「諸君、呂布が戟の小枝を射当てたならどちらも軍勢を解散。

当たらなければそのまま勝負」。と一歩的に宣言、

見事戟の小枝に命中させます。

正史三国志:呂布伝に見えます。



『夏候淵』

210年春の銅雀台の完成式典で、

先に的に当たった4本の矢の中央を、

馬を反対に走らせ振り向きざまに命中させました。



その他の人物で名を挙げると、

董卓、曹仁、曹休、曹洪、張郃、徐晃、

郝昭、于禁、楽進、丁奉、甘寧、文醜あたりも弓使いとしてでてきます。







麋竺。馬に乗ることは出来なかったが、弓矢は巧みだったとか。



すみません、嘘を書いてしまいました。軍勢を率いることはできなかったが、弓矢・馬術に優れいていた。というのが正しいです。

子・孫もたくみだったとか。







両者ともに演義での記述になりますが、

・夏候淵…銅雀台落成での余興

・黄忠…長沙での関羽と一騎打ちの時のエピソード

なんてのもありますよ。







太史慈・呂布ですね。

http://blog.livedoor.jp/amakusa3594/archives/50089295.html

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