三国志の魏の夏候淳っていう強い武将いましたよね?
話の途中でいなくなったけど戦死したんですかね?
夏候惇 ?-220年
三国の時代の武将で、曹操の従兄弟で曹操に最も信頼された将軍。
呂布との戦いにおいて左眼に流れ矢を受け失明、以降は片目の将軍として盲夏侯とあだ名されたという。
片目を失った事により、正史三国志の夏候惇は徐々に最前線から外れて、各地の太守や政治的な動きで活躍し、内政や実務で実績を上げるようになる。
また、方面軍単位での総司令官などを度々勤めている。
演義で彼の功績になっている最前線での軍功の後半部分の多くは、演義でザコ扱いされている韓浩などの夏候惇が推挙した将軍のものが含まれているようである。
曹操は彼を部下としてというより、信頼できる親友か家族として見ていたようで、夏候惇を長く漢の将軍として扱い、自分の部下としての魏の将として扱わなかったという。
夏候惇は過分の扱いであるとして、自ら魏の臣となる事を申し出て臣君のケジメを付けたという。
しかし曹操は、夏候惇が曹操の車への同乗する事や、寝室への自由な出入りを許し、生涯特別待遇しつづけたという。
220年に曹操が亡くなると、後を託され大将軍となるが曹操の死のショックは大きく、後を追うように数ヶ月後に病死した。
彼は非常に質実剛健であったといい、金があれば人にやってしまったという。
彼の墓が発掘された時、副葬品は一振りの剣だけだったという。
夏候”惇”(かこうとん)のことですか?それとも淳ですか?
夏候惇は射抜かれた自分の眼を食べた逸話で有名な武将で、曹操に初期から付き従い、まさに右腕と呼べる存在です。
曹操が死んだ直後に死んでいますが、直前まで現役の将軍として軍にはいたようです。
おそらく高齢になったためと、出世して重要なポストに付いたために最前線には出なくなったのではないでしょうか?
夏候淳のほうは、夏候淵の曾孫ですが、三国志中の人物ではありません。
夏侯惇
曹操が亡くなった後病に倒れ、この世を去ったとされてます。
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