三国志の疑問
中国のドラマ『三国志演義』を見たのですが、武芸に秀でたといわれる武将はなぜあんな戦場で生き残れるんでしょうか?
矢が飛び交うし、石も飛んでくる、大勢の敵味方がいる中たまたま後ろから刺されたりといつ死んでもおかしくないです…
馬に乗ったら馬を攻撃されて落馬させたら簡単に刺せますし…
やっぱりドラマの創作ですか?
しかし、創作ならなぜ武芸に秀でたと言われる武将は現在まで名を残すのでしょうか?
正史の方で武芸と言えばほとんど弓と馬術が優れた人のことをいうようです。
腕力オンリーな武将は大丈夫とよばれ、ナタで敵をばっさばっさ切り殺したと言うような話はほとんどなく、体がどれくらい大きかったなどの方が記述として残っています。
戦場ではやっぱり見た目ですからね。
武芸といえば演戯でおなじみ呂布ですが、正史でも大活躍しています。
むしろ、正史の方が呂布のすごさっぷりがより詳しく書かれているという例外がおこっています。
派手好きな演戯がなぜ彼の逸話を採用しなかったか。
ぶっちゃけイメージが壊れるからです。彼が愛用の方天画戟を振り回したという記録はなく(そもそも呂布の時代戟は存在しない)、ひたすら馬上から弓を使って戦っているからです。
彼が得意としたのは実は暗殺です。馬上から弓をちゅんちゅんと放ち敵の司令官を討ち取ってしまうのです。
呂布の弓の得意さは演戯でも槍の上にさした小枝を射抜いた逸話で残っていますが、いかにも胡散臭い話なのですが正史でもこれは書かれているのです。
そのすごさは馬術とあいまって当時は化学兵器並の威力を誇ったようです。
呂布と戦うと乱戦の中でも正確無比な矢が飛んできて撃ち殺されてしまうため、指揮官はとにかく呂布と戦うのを嫌がりました。まあ、自分が死ぬのは誰でもいやですからね。
10倍以上兵数がいても相手が呂布と知れば撤退してしまったようです。そのため、呂布は本当に負け知らずでした。
と言う事で、その当時は武芸といえば真っ先に弓術、次に馬術だったようです。
そりゃ指揮官が前線に立っていたのは創作でしょう。乱戦になって敵兵が近くに来ることはあっても自ら先頭に立って突進していくことはほとんど無かったと思います。
例を挙げると孫策は常に最前線に立たないと気が済まない性格だったとか。兵卒と斬り結んでいたかは分かりませんが、流れ矢に当たったり自らの馬を斬り付けられたりもしてたらしいです。そんなもんだから参謀の張紘に「指揮官が前線に立って何かあったらどーすんだよ。もうちょっと保身に気をつけなさい!」と叱られています。ちなみに弟の孫権も同じ様なことを言われてます。
このように指揮官が前線に立つなど言語道断だったと思われます。まぁ当然といえば当然ですが。ですが、身分のあまり高くない武将(別働隊長とか)は敵兵と直接斬り合っていても不思議ではないですね。少数で奇襲をかけて敵陣に突っ込んでいくというのは結構よくあることだったみたいなんで。指揮官自ら前線に立つのはあくまで少数での戦いのほんの一瞬だけだったんではないでしょうか。
ちなみに一騎討ちも正史にはほとんど見られません。大将同士が斬り合って決着つけるなら軍隊なんぞいりませんからね。
>創作ならなぜ武芸に秀でたと言われる武将は現在まで名を残すのでしょうか?
本当に腕っ節が強かったか、戦争における指揮が上手かったからだろうと思います。それだけ大きな手柄を上げる→記録に残る。そんなとこではないでしょうか。
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