2012年3月23日金曜日

三国志。エンショウ軍、呂布軍、呉、巍、しょくでクーデターなどおこらずに一番行...

三国志。エンショウ軍、呂布軍、呉、巍、しょくでクーデターなどおこらずに一番行政が上手く行われてた軍はどこでしょうか?







行政の評価の順位付けは難しいです。

土地ごとの状況や外来の政権か土着の政権かの違いも影響しますから。



○袁紹

黒山賊や匈奴等が暴れていた河北での治安回復と、生産力の維持は十分に評価できます。

曹操が袁氏を追いやって河北制圧後に土地の豊かさや甲兵の多さに言及する記録があり、西晋の時代にも河北の民が袁氏の治世を懐かしむなどがあり、善政が行われていたと考えてよいでしょう。



○呂布

特に行政についての実績はないと思います。



○呉

孫権の時代は江南の豪族との連合政権の色彩が強く、統治権もそれほどではありません。

王朝後期に入ると北来の流民が帰還したことで人口が減少し、生産力や国力の弱体化に至っています。

江南の六朝に入れられてはいますが、東晋以降の南朝にくらべて開発はほとんど進んでいません。

まともに統治権が及んでいたのは長江流域に限られていたでしょうから、江南王朝として割拠するには不十分であったといえるでしょう。



○魏

魏の行政で注目すべきは屯田制と九品官人法の実施でしょう。

屯田制では民屯が行われており、流民や耕作放棄地を活用することで王朝の管理人口を多少回復させています。

九品官人法は司馬懿によって改悪され、のちに豪族の門閥化を促進させてしまいますが、漢の郷挙里選よりは名目上でも人事権を中央政府に引き戻したという点で評価はできるでしょう。



○蜀

諸葛亮による蜀科の制定や、土地の開発と専売制の実施による財政の確立。

これらによって実質的に益州のみの統治に過ぎなかった蜀が数度に渡る北伐を実施できる国力を得たということは、諸葛亮の行政手腕に高い評価を与えることができると思います。

また、人事面でも益州出身者と荊州等の他州出身者との間で大きな内紛を起こしていないということも評価できるでしょう。



○董卓

もともと破綻していた後漢王朝の行政に止めを刺したという点で低評価にならざるを得ません。





以上のことから、私個人がもっとも優れた行政であったと考えるのはその時代だけみれば蜀です。

が、隋唐における律令制国家の成立に一番寄与したのはやはり魏だろうと思います。








滅びるまでクーデターらしいものがない点に絞れば、【蜀】ではないかと思います。



【董卓軍】董卓自身の最期が策にはまった暗殺で、残党もグダグダ。



【袁紹軍】跡継争いと参謀達の脚の引っ張り合いでグダグダ。



【呂布軍】呂布自体が裏切り(部下によって捕縛)で敗北。



【魏】司馬懿と息子達によるクーデター、皇帝自ら司馬氏打倒に失敗して殺されていたり、後半はグダグダ。



【呉】孫権亡き後、諸葛恪打倒のクーデター等、政変連発でグダグダ。



【蜀】滅びるまで、国内でのクーデターらしいものがない。宦官に政権を握られてはいたが、それに対して国内でどうこうはしなかった。最終的には魏の侵攻に降伏のため、滅びるまで国内でのクーデターはなし。







私の意見としてですが、呉だと思います。 国主が身内で何代か続いてたと思うからです。

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