三国志最強の武将
三国志の武将の中で誰が一番強かったのでしょうか?やはり呂布でしょうか?それか関羽・張飛?それとも超雲子龍でしょうか??
さぁ 分かりません
何を持って最強なのかは知りませんが
武力の面で言ったらその中ですね たぶん
武力なら呂布。
知力なら諸葛亮。
ってとこですか?
人中の呂布ってくらいだから、やっぱり呂布かな・・・?
私的に最強だったのは曹操であって欲しいですが。
皆、曹操や劉備陣営ばかりで悲しいですね。”小覇王”孫策も入れてあげましょうよ。個人的武勇・軍指揮力共に実績ありますよ。後甘寧なんかもどうでしょう?
武力でいうならば呂布、又は関羽ではないでしょうか?しかし、演義での話なら兀突骨だと思いますw
彼は身の丈十二尺(後漢の尺で276cm、魏・晋の尺で289.2cm)の大男で、体が鱗で覆われていた上に穀物の類は一切食べず、生きた獣や蛇を食べていたといわれています。油を藤の蔓に染み込ませて鎧状に編んで乾かした藤甲を着た、刀や矢も通用せず川などでは浮いて移動する最強の兵、藤甲軍を率いて6度蜀軍に敗走した孟獲に替わり蜀軍に大勝し苦戦させた男です。
ホントに演義の人物でしかない人なのですが、ゾウにまたがりその上、刀や矢も通さない鎧をつけていたら、呂布だろうが関羽だろうが、どっちにも勝つことができると思いますw
全体的にいったら曹操ではないでしょうか?
群雄割拠する三国にも定まっていない時期、諸国から狙われるばかりか、奉戴した皇帝にすら命を狙われるにも関わらず、中国大陸の半分以上統一できたのはひとえに彼が最強といっていい程の才能を持っていたからではないでしょうか?
最強の武将でしたら間違いなく呂布でしょう。
・虎牢関の戦いにおいて張飛と互角の打ち合いをしやや張飛が不利になり、関羽、劉備が加わっても笑みさえ浮かべて「束になってかかってこい」となお持ちこたえた。このエピソードがすべてではあるまいか
・150歩離れた戟に矢を射当てた。これには劉備もびっくり
・部下に張遼がいる。この張遼、後に呂布の死後曹操陣営に移ったが魏書によると配下の5大将(他は于禁、楽進、徐晃、張郃)の筆頭にあげられている。
司馬慰仲達。孔明相手に勝ちすぎないように戦ったから。結局最後の勝者となったので。
三国志正史という歴史的資料から見ると、曹操のボディーガード許褚と典韋が個人的武勇では突出しています。
実力主義の曹操がボディーガードに起用したのですから、その武勇は当然中華一だったと考えていいでしょう。
軍事、政治、文化、どれも当時最高とされた人物が曹操の周りにいたのに、強い人物だけが劉備の周りに多いというのは不自然です。
十常侍、何進、董卓という当時の最高実力者が、ことごとく暗殺されているのに対し、曹操はそうではありません。よっぽど運がいいか、ボディーガードが優秀だったのでしょう。
事実、馬超が曹操を暗殺しようとした際、許褚がいたので手が出せなかったという記述があります。
許褚は典韋の後任なので、実際のところケンカでは典韋がNO1だったのではないでしょうか。
軍隊を率いれば曹操が最強でしょう。彼が生み出した電撃戦は、その後の中国の戦略を一新させました。赤壁以外に負けらしい負けはありません。司馬懿も張遼も曹操の弟子です。諸葛孔明の火力重視の戦略は、電撃戦に対抗するための苦肉の防御策だったというのが実際です。
ケンカは典韋、軍隊は曹操・・って夢が無い様ですが。
KOEIの三国志というゲームでは全シリーズにおいて武力の数値が一番高いのは呂布です。
演義上での討ち取った武将・捕まえた武将から考えると、関羽でしょう、有名所だけで顔良・文醜・黄忠・于禁・龐徳を倒していますから、戦果は1番でしょう。
権力という意味では、初期は曹操。後期は司馬懿でしょう。
『三国志演義』というフィクションの中では、関羽ってことになってるんでないの?
総合的に判断すると・・・曹操でしょう。
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