三国志の呂布って本当に最強だったのですか?
×演義
○正史
最強候補の一人だった、とは思います。理由としては董卓の配下に
李カクと郭汜と言う武将が二人います。
二人が董卓死後に権力を握ることになるのですが、途中で対立し、
抗争に発展してしまいました。郭汜は豪勇の士として知られ、この時
も数百の軍勢で李カク軍数万を破った、とあります。
少数で多数の兵を相手にした例としては他に張遼が孫権数万の軍
相手に同じように数百の軍勢で打ち破ったり、曹仁が敵兵のど真ん
中に取り残された味方の兵を制止も聞かずに僅かな兵で救い出した
例などが挙げられます。
二人とも魏で1、2を争う勇猛な将軍、と言う評価ですが、それと同じ
ことをこの郭汜はやってのけているのです。
そこで呂布について、ですが英雄記と言う記録を読みますと、董卓の
死後、郭汜達が長安に攻めて来た時に呂布はその郭汜に一騎打ち
を申し込み、その際彼を負傷退却させた、とあるのです。
僅か数百で数万の軍を撃退するほどですから、郭汜も半端な勇将
ではないと思います。彼の武勇を張遼や曹仁、呉で言うなら甘寧、
蜀ならば張飛等と同等クラスと考えると、その彼を一騎打ちで破った
呂布はまず個人的武勇の面で最強と名乗れるだけの資格があると
思います。
実際の戦でも初見で戦った曹操を散々に破るなど、自分の得意な
型で戦えた時の実力は相当な強さであったことは間違いないです。
惜しむらくは曹操のように相手によって戦い方を変える、相手の戦術
を研究して対処法を編み出す、と言った自分の利点を生かした戦い
方があまりできなかった。2戦目以降曹操に勝てなくなったのも、緒戦
の敗戦から曹操が徹底的に対処法を研究したため、ですからね。
もし曹操が彼を受け入れ張遼のように呂布を使っていれば張遼と同じ
かそれ以上の武勇を発揮し、名声を残していた可能性はあったと思い
ますね。まぁ、裏切りが怖いですがw
負けたのだから、最強ではないでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿