三国志で人肉を食べる場面は出てきますか?
吉川栄治の小説はどうですか?
三国志にも出てきますし、吉川栄治の小説にも出てきます。
吉川本では、劉備が呂布との戦いで破れ、曹操を頼って許昌に向かう途中、劉備が逃げ落ちてきたという噂を聞きつけた村人が、自分の家に招いて一晩のもてなしをする場面が描かれています。この時、この家の主人が自分の妻を殺してその肉を劉備に食べさせました。
この場面については、吉川栄治も小説に載せることをためらったと小説内で注釈を入れています。
日本人の美徳からは、この場面は理解できないと思ったが、あえて載せることにしたとコメントしています。
日本には、鎌倉時代に第8代執権の北条時頼が、旅人に変装して諸国を巡視していたとき、宿を貸してくれた家の主人が、旅人のために愛好していた梅の鉢植えを薪にして暖を与えたことが美談として語られています。
この話を引き合いに出して、主人のもてなしの心情として、梅の木を切るのと、自分の妻を殺すのと、どちらがより強いでしょうか?
と自分のコメントを結んでします。
中国の人食文化は、
早くから食文化が発達した中国では、いわゆるゲテもの喰いが現れる。
そういう側面があると思います。
なにしろ、日本では卑弥呼が占いで政治をしていた頃、中国では諸葛孔明が現在と同じような中国料理を食べていたんですからね。
呉の最後の君主(暴君)の孫晧のそばに仕え讒言を繰り返し民衆の敵だった宦官の岑昏は終戦のどさくさになぶり殺しにされ、肉まで食われたという記録があります。
古代中国での食人についてはさまざまありますが、大飢饉の時の生存のためや、前出のような激情型、英雄を倒して食すという崇拝型などが挙げられます。当時の人々にとっては美談や勇談として扱われており、今の尺度で測ってはいけないものだと思います。
劉備が人肉を食べた話が有ります。
道に迷った劉備を農家の男が助けもてなすために妻を殺し料理して食べさせた話です。
他には魏の王忠が飢えから人を食べたと言う話が有ります。
補足
吉川英治の小説には出てこなかったような気がします。
そこまでは知らないのですが…、吉川英治の小説を少しかじった事があります。
確か、董卓が囚人を釜で煮殺してその肉を平気で食べていた場面がありましたね。
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