2012年3月20日火曜日

三国志の中で呂布の言ったことで質問です。 玄徳と紀霊の和睦を仲裁するところで、...

三国志の中で呂布の言ったことで質問です。

玄徳と紀霊の和睦を仲裁するところで、「この呂布が仲裁では、君は役不足というのか」と出てきますが、この場合はどうして「力不足」ではなかったのでしょうか。

講談社 吉川栄治歴史時代文庫34 三国志(二) 418ページ中ほどです。

呂布を一つの役割とみて このような言い方をしたのでしょうか。

またはこのような言い回しであっているのでしょうか。

気になりましたので質問しました。



どなたか教えてください。







「役不足」という言葉の本来の意味は「人物に対して役目が小さ過ぎる」ですから、この言い回しは間違いであると思います。



しかし、この言葉は所謂「勘違いされやすい日本語」だと思います。「役目が大き過ぎて、その人物の手には負えそうにない」という意味(いわば本来の意味とは逆)だと思っている方が大勢いらっしゃるのではないでしょうか。そろそろ国語辞典に新しい意味を付け加えるべき時期なのかもしれません。



とは言え、吉川先生がこれを執筆された当時の日本語で解釈するなら、やはり「間違いです」と言わざるを得ません。








言い回しは合っていると思います。

この場合、仲裁者として呂布が「力」だけではない所を見せようとしている場面ですので、「力不足」より、現在の呂布の立場、地位の優位性を知らしめる為に「役不足」を使用したのでは無いかと思います。

いかにも日本の時代劇っぽい台詞回しは吉川栄治らしくて私は好きです。

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