2012年3月13日火曜日

三国志で武将達が乗っていた馬の名前を教えて下さい。 探しても関羽=赤兎馬くらい...

三国志で武将達が乗っていた馬の名前を教えて下さい。

探しても関羽=赤兎馬くらいしか出ませんでした。







残念ながら、当時重要な存在であったろう、武将たちの「愛馬」に名前は、

あまり(ほとんど)伝わっておりません。



【赤兎(せきと)】

中央アジアのフェルガナ(現・サマルカンド)産の大型の馬とされます。

演義では西方との交易で得た汗血馬といわれています。

「赤い毛色を持ち、兎のように素早い馬」の意味とされます。



『正史三国志』の「呂布伝」に「赤兎」として呂布に愛馬として登場します。

呂布の剛勇と併せて「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と賞されます。

赤兎馬が登場するのはこの一文だけです。



『三国志演義』によると赤兎馬は稀代の名馬で、

一日に千里を駆けることができたとされます。

董卓が呂布とその養父の丁原を離間させるために、

李粛の策で呂布に贈られ、呂布を討った曹操の手に移ります。



あるとき関羽に心酔した曹操は赤兎馬を関羽に与えたところ、

関羽が大喜びして、

「この馬ならどんなに遠くとも兄者(劉備)の居所が分かれば

すぐに飛んでいくことができるでしょう」と答えたため、

曹操は改めてその忠義ぶりを思い知った一方、後悔したともいいます。



関羽が処刑された後、呉の馬忠に与えられたが、

馬草を食わなくなって死んだといいます。

また、南蛮の孟獲、祝融も赤兎馬に乗っていたという話があります。





【絶影(ぜつえい)】

曹操の愛馬。走り去る時影すら残さぬ速さで走る馬とされ、

アラビア産の黒毛の大型の馬とされます。



197年、張繍は降伏したのち再び反逆し、

張繍軍の襲撃のため長男の曹昂らを失います。

曹操自身と愛馬の「絶影」もこの時負傷したものの、

絶影の俊足で助かったとされます。





【爪黄飛電(そうこうひでん)】

曹操の愛馬。許田で献帝を招いて行われた巻狩りの際に騎乗しました。





【的廬(てきろ)】

劉備の愛馬。

額に白い斑点のある馬で飼主に凶事を振り掛ける凶馬として伝わっています。

劉備は荊州の劉表を頼りました。その際、劉表に贈られたとされます。

劉表は歓迎してくれましたが、

劉備は平和な暮らしの中で、

腿に肉がついてしまったことを歎きました(「髀肉の嘆」)。

劉表の重臣たちから警戒された劉備は、

宴席で暗殺されそうになり、

「不幸を呼ぶ馬」とされた的廬に乗って、

檀渓(だんけい)という川を飛び越えて難を逃れました。

「玄徳、的廬踊らせて檀渓を跳ぶ」



的廬は詩にも詠われています。



『破陣子』

爲陳同甫賦壯詞以寄之(陳同甫の爲に壯詞を賦し以て之に寄す)



醉裏挑燈看劍,/醉裏 燈を挑(かきた)てて 劍を看,

夢回吹角連營。/夢は 回(めぐ)る 角 吹ける連營を。

八百里分麾下灸,/八百里(うし)は 麾下に分かちて 灸(あぶ)り,

五十絃翻塞外聲。/五十絃は 翻(かな)づ 塞外の聲を。

沙場秋點兵。/沙場 秋に 兵を點ず。

馬作的廬飛快,/馬は 的廬の作(ごと)く 飛快し,

弓如霹靂弦驚。/弓は 霹靂の如く 弦 驚かす。

了却君王天下事,/了却せん 君王の 天下の事を,

贏得生前身後名。/贏(か)ち得ん 生前 身後の名を。

可憐白髮生。/憐む可(べ)し 白髮の生ぜしを。





【白龍(ぱいろん・はくりゅう)】

趙雲の愛馬とされます。「レッドクリフ」にもでてきますね。





【黒捷(こくしょう)】

「遼.来.来」こと張遼の愛馬とされます。

合肥での孫権との一戦で、曹操を小師橋に追い詰めた黒毛馬です。

甘寧との騎馬戦でも、相手の馬に頭突きを食らわせて、戦意喪失させます。





【黒毛(こくもう)】

蜀の魏延の愛馬とされます。黒毛馬だから?





個人的には、合肥の戦いで、上に挙げた「張遼」に追い詰められ、

途中を壊された小師橋を、孫権を乗せて飛び越え危機を救った、

孫権の愛馬の名前が知りたいですね。

「北馬南船」と呼ばれ、呉に名馬無しと侮辱されますが、

「忘れちゃ駄目、ここに名馬あり」ですから・・。



この時代の中国では馬は貴重な財産であり、

人力以外の唯一の移動手段であったのですから、

これ以上の有益な物は無かったのではないでしょうか。

ただ、当時の中国の馬は、「蒙古馬」という、体が小さく、

ポニーの一回り大きいくらいであったとされています。

民に恐れられていた匈奴族や鳥丸族といった騎馬民族の馬も、

このように小さかったと考えられます。

匈奴族の武力制圧を試みた、前漢の「武帝」は、

中央アジアのフェルガナ(現・サマルカンド)まで、

大型の馬を求めに行ったらしいので、

この時期の馬の貴重度がどれほどのものかわかります。








他の回答者さんに加え





【驚帆】

曹真の愛馬。

疾駆させると烈風のさなかに帆を挙げたように速いことから。





【白鵠】

曹洪の愛馬。葦毛。

この馬が走ると、耳に風が当たる音しか聞こえず、

脚は地面から浮いているようであった

と言われています。







名馬一覧





赤兎馬

『三国志』「呂布伝」に名が記録されている馬。呂布は赤兎という馬を持っていた、とある。

『三国志演義』では呂布と関羽の愛馬とされている。ただし、関羽が乗ったという記述は正史には見られない。

南蛮の祝融が騎乗していたという話もあり、特定の馬を指すのではなく種類のことを示すのではないかという説もある。



絶影

『三国志』「武帝紀」に名が記録されている馬。曹操が騎乗したとある。

名前の由来は「影も追いつけないほどに早く走る」という意味とされる。



的盧

「額が白い」という意味の馬相を指す。凶馬とされる。

『三国志』「蜀書 先主伝」に劉備が騎乗したとある。東晋・庾亮の乗馬もこの特徴を有していた(『晋書』庾亮伝、『世説新語』)。

『三国志演義』では、劉備の愛馬はさらに四白(四本の足すべての足先が白い)で、持ち主に祟りをなす凶相の中の凶相とされる



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E9%A6%AC%E4%B8%80%E8%A6%A7

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