2012年3月13日火曜日

三国志の中で一番の戦争上手を決めるなら誰ですか?

三国志の中で一番の戦争上手を決めるなら誰ですか?







『曹操』だと思います。



取りあえず敗戦と呼べるのは、



1.190年、董卓が洛陽を焼き払い長安に遷都した際の、

鮑信や張邈の配下の衛茲とともに董卓を攻撃した戦い。

曹操・鮑信・衛茲の軍は

董卓配下の徐栄との交戦により壊滅的な打撃を受け、

衛茲は戦死しました。



2.興平元年(194年)曹操は兗州に戻り、

呂布を攻めましたが、敗れ、青州兵は大打撃を受け、

曹操自身も大火傷を負いました。

幸い荀彧・程昱・夏侯惇らが本拠地を守り抜き、

飛蝗(イナゴ)のために飢饉が起き、

呂布軍の兵糧も尽き果てたので、呂布が軍を引いたため、

曹操は帰還を果たすことができました。



3.建安2年(197年)春、宛に張繍を攻めて降伏させ、

張済の未亡人を妾としましたが、それを切っ掛けに張繍に先制され、敗れます。

この敗戦で長男の曹昂・忠臣の典韋を失います。



4.208年赤壁で大敗します。



の4回しかなく、

そのほかの戦いでも結果的に勝てなかった戦いも、

負けない戦いが出来ました。

負けない戦いが、一番難しく、

それが出来たのは『曹操』だけではないでしょうか。

優秀な軍師と武将が揃っていたともいえますが、

それを使いこなせるのも『曹操』だけでしょう。



『劉備』は、

言うまでもなく「戦い下手」で負けてばかり、逃げてばかりです。

その割りに致命傷を負うことが無かったのは「運」以外にあり得ません。

夷陵でその「運」と奇跡的な「つき」とが尽きてしまいました。



『孫権』は、

赤壁の勝利がインパクト大ですが、

これは孫権の指揮ではなく周瑜の裁量です。

彼は基本的にやる気が感じられず、

優秀な配下に任せたのと、地の利を生かしただけで、

戦上手とは言えないと思います。



『諸葛亮』は、

戦上手のイメージ先行ですが、詰めが甘く、バカ勝ちできません。

まあ、これは諸葛亮の責任ではなく、

蜀自体の国力や、人材不足によるものが大ですが、

三国演義の影響が強すぎて、正当な評価を得ていない様に思います。

彼の能力は、「武」でなく「治」に発揮されるべきものですし、

治世の点からいえば三国時代を代表する政治家といっていいと思います。



夷陵で劉備を破った『陸遜』は、

優秀だと思いますが、

残念ながら、表舞台にでるのが遅すぎました。

あと10年早く、大将軍となっていればと悔やまれます。

彼が呉を背負った時期は、もはや魏の国力が飛びぬけていた時期で、

彼だけの力でそれに抗うことができませんでした。



『周瑜』も

早い死が悔やまれますね。

赤壁でその才能を使い切ってしまった感があります。

周(瑜)陸(遜)時代を見てみたかったですね。



『司馬懿』も、

曹操と同じく負けない戦いが出来ました。

しかし、彼の場合、圧倒的な魏の国力が後にあったわけで、

慌てなければ負けるわけ無い戦いばかりですね。



戦場以外の宮廷闘争を勝ち抜いて、

司馬一族の魏簒奪の基礎を築いたってことは、

これも戦い(ある意味、戦場での戦い以上に熾烈な)ですから、

そっちの方の戦さ上手ナンバーワンは、

『司馬懿』といっても間違いないかもしれませんね。

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