三国志でこいつは1番大嫌いな武将(後漢終焉時代も含めて)をあげて下さい。
俺の場合は呂布や董卓が嫌い武将のワースト10に入っていますが…、
1番嫌い武将は袁紹です。
文官ですが、楊儀です。対立していた魏延が諸葛亮の死後に反乱を起こして馬岱に斬られ、その生首が彼のもとに贈られるや「馬鹿めが。もう一度悪いことがやれるものならやってみろ」と言って踏みつけました。
魏延も生前に楊儀に向かって剣先を突き付けたりするなど問題があったにせよ、この行動はいただけません。その後、出世で「丞相が亡くなった際に魏延についていればよかった」と不満をぶちまけたことから庶民に落とされ、最後は自害しました。この狭量ゆえに出世できなかったというべきでしょう。
武将といえるどうかわかりませんが、一番嫌いな人物は、呉の第4代皇帝の孫晧
以下ウィキの抜粋
人物
無理やり群臣達に飲酒を強要した上で、監視の役人を側に置き、酩酊状態でわずかでも問題のある言動があれば処罰を加えた。また後宮に何千もの女性を入侍させ、意にそぐわない宮女を殺害し、宮殿内に引き込んだ川にその死体を遺棄したという。刑罰では残虐な方法を使い、人の顔を剥いだり、目玉をえぐったりもしたという。お気に入りの人物は重用し高官に取り立てた。さらに土木工事を好み、民衆を労役で苦しめた。こうして民心が離れていったという。
一方で、降伏に際して孫皓は家臣たちに書簡を送り、呉滅亡の責任を一身に負い、家臣には晋に仕官し才能を発揮するようと伝えている(『江表伝』)。元の侍中であった李仁は、孫皓の残虐な刑罰について弁明したという。また、呉の滅亡後に晋に仕えた吾彦は晋の武帝の前で、孫皓は英明であったと弁明している(『晋書』「吾彦伝」)。
評価陳寿の『三国志』上での評価も「度し難い悪人」など、否定的な記述が目立ち、孫晧の降伏を許さず腰と首と断ち(腰斬刑、通常の死罪よりさらに重罪人に適用された)、万民に謝罪すべきであったと酷評している。
関羽が嫌いですね。
世間が狭いというか、なんというか
法正です。
能力は、すごくあるのですけど、人間性が・・・・。
武将に限定ですか。そうですね・・呉の最後の君主の孫晧ですね。三国時代最悪の暴君です。
性格破綻者だったともいわれています。でも、そんな人間を君主にしたのはいったいどうしてだ。
嫌いというか一番批判したくなるのは諸葛亮ですね。
偏見があるかもしれませんが、人材の活用が下手。軍略において応用力がない。政治家としても人格は一流であったが理想が先行して実績は疑問。外交に関しても同様。彼は人格の人であり才覚の人ではない。
このような人が演義で神がかりの軍師のように扱われていること、その印象が現在一番強いことに反感を持ってしまっています。
彼自身はそこまで嫌いではありませんが・・・
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