三国志の呂布は縛り首で死んだんですか?
『三国志呂布伝』→「縊殺布(略)梟首送許」『後漢書呂布伝』→「縊殺之、傳首許市」『三国志演義』→「操令将呂布縊死、然後梟首」「縊殺」は首を絞めて殺すこと、「梟首(きょうしゅ)」は棒などに首をのせてさらし首にすること。三書の記述から呂布は首を絞めて殺された後、その首は切られ、曹操の本拠地、許都に運ばれ、さらし首になったようです。
ちくま訳の正史では「くびり殺した」とあるので、まぁそういうことなんでは。
打ち首ではないですか?
三國志 呂布
0 件のコメント:
コメントを投稿